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2015年5月29日金曜日

冷めた心に火を灯せ!

お疲れ様です!
関西支社の尾崎です。

なぜ、心は冷めてしまうのか?



あなたが人と接している時、心が冷めてしまう瞬間はいつでしょうか?


色々あるかと思います。

『期待していた成果を出してくれなかった』
『言ったことがまるで違った』
『いい人だと思っていたのに違った』
『価値観が合わない』

・・・そうしたことをきっかけに、

「あの人は全然合わない」
「苦手」
「所詮、人間てのはこんなもんか」

と言いながら、趣味や価値観が合う、年齢が近い、特定の“話が通じる人”とだけ人間関係を作ってしまう。

職場、趣味グループ、大学の友人、ママ友、夫婦、そういった人間関係の中で、“合わない人とは関わらない”あるいは「仕方ない」と割り切りつつもどこかで不満を溜めてしまう。


そんなことありませんか?
なぜそうなってしまうのでしょうか?


僕は、基本的に昔は冷めてました。話すのも嫌い、関わるのがめんどくさい、輪に入るのが嫌いで一匹狼でした。
ホント、冷めた狼です( ̄ー ̄)がるる



だからこそ、今日は書いてます!笑

「冷める」というのは、実は人間の防衛本能らしい。

いまや情報社会です。
情報があふれている世界の中で、あらゆることに関わろうとすると頭も体もついていかなくなり、人は必要最低限のコミュニケーションで生きて行こうとします。

例えば

「電車で席をゆずるのにためらってしまう」

「新しいコミュニティに入っていくのが億劫」

と言う人は多いかと思いますが、そうすることで無駄な接触を避けて、自分を守ろうとしている訳です。

そして、その度がすぎると “冷めた人間” になるんです。

僕は冷めるというか、感情が豊かになれなくて優しさや思いやりがかけているんじゃないか??と思い本で何故そうなるかを色々調べました。

心理学の世界には

「セルフ・ハンディキャッピング」

と言う言葉があります。
これを簡単に説明すると

「自分にわざとハンディキャップを課して、やらない理由、出来ない理由をつくりだしてしまうこと」
です。

たとえば、

「あの人はどうせ言っても分かってくれない」

「それってめんどくさいよね」

「価値観が違いすぎるよ」

「私は人見知りだから」

などと人と付き合わなくてもいい理由をつくりだしてしまうのです。
これって、本当に無理なのでしょうか??

小学校か中学で皆さんは『走れメロス』と言う作品を読んだことありませんか?覚えていますかね?



内容をざっくりと言うと
人間不信で悪逆非道の王様に「激怒した」メロスが、王様の暗殺を企むも失敗。
で、メロスは捕まり、処刑されることが決まるのですが「妹の結婚式に出るために3日だけ待ってくれ、代わりに友人(名前忘れました)を置いていく」と親友を身代わりにします。

王様はその行動にアホなやつだなと思いながらメロスを試す訳です。

そして、道中色々ある中、期限ギリギリに到着。自ら処刑される為にボロボロになって戻ってきたメロスと、メロスを決して疑わなかった親友のなんちゃらが熱く抱き合う!
2人の熱い友情が王様の心を変える。

と言う物語です。。。

要するに、人の心は都合よく出来てると言いたいわけです。

心がさめているというのは、この『走れメロス』で言う王様と同じです。
王様は「人間なんていうのは愚かで自分勝手なものだ」と割り切っているものの、そうは言いつつもどこかで「実は違うんじゃないか」という期待もしてます。

ただ、それを認めてしまうと、これまでの自分の考え方や生き方を否定してしまう事になり、それは絶対に認めれない・・・と葛藤している訳です。

人の心は

「こうでなきゃいけない!」

と心の中で思っていることと、

「目の前の出来事とが矛盾しないようにする」

と言われているそうです。

要するに「自分は正しい!」と自分の行動や考え方を正当化するための言い訳をしたり、口実を見つけたり、安心材料をみつけたりするのです。

またまた例えますが、

恋人のことを

「あんたダマされてるよ」
と友人に言われれば、

「そんなことはない、あの人は自分を大切にしてくれている」
と、愛されている“理由”を探します。

自分が好きで買った商品がサイトやら口コミやらで悪い評判を聞いたら必死にいい評判を見つけて「やっぱり買ってよかった」と納得します。

メロスの話も同じだと思います。
友情に誓って必ず戻る!
と言われて、嘘に決まってる。と考える訳ですから。

結果、人と関わらずに生きていることを実感することは出来ない。

本来、人は人とのつながりを求める様に出来ていると思う。
人が冗談を言い合ったり話し合ったりできたりするのは、人間がそうしたレベルの高いコミュニケーションを通じて脳を進化させてきたからじゃないかと思う。(映画ルーシーみたいに)



たとえば、「おはようございます」と言った時に「おはようございます」という言葉が返ってこず無視されればどうでしょうか?

自分の存在が否定された気持ちになってしまうはずです。

だから、おはよう!って言ったときにおはよう!と返事があるから『自分って生きてんだな!』と実感が出来るんです。

自分の言葉や発言、行動に誰かが反応してくれる。
自分の言いたい気持ちや意見が伝わる
などなど、人が関わったときはじめて、人は自分の存在を実感する。

「自分は人を好きになれない」
「あの人は苦手」
「人間ってこんなもん」
というのは、ほとんどが自分自身の思い込みであり、勝手にセーブをかけていることが多いんです。

自分の殻に閉じこもることなく、諦めることなく、

いろんな人と付き合っていくこと!
そうすれば

「人生って思い通りにいかないもんだなぁ」
「自分って思い込みが激しいなぁ」「もっと人にやさしくしないとなぁ」

と、考え方に幅が出てきます。

心の冷えは病気ではない!温め直しはいくらでも出来るんです^_^

管理する側の人はより多くの人と関わります。
どうでしょう??

人は人で優しくなれるんですよ(^_^)


ありがとうございました。




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